仕事をリタイアしてからというもの、もともと趣味のなかった父が力を入れているのが家事である。食器洗いや風呂掃除、洗濯ものはもちろんのこと、ゴミ捨てに買い物、庭仕事もするので、自分の仕事を奪われたと感じた母の不満は溜まるばかり。
そんな中、父が新たに始めたのが「料理」である。きっかけは、母の買ってきた総菜だった。我が家は今年の春に父が定年退職するまで長いこと両親共働きで、母は働きながら家事もする毎日だった。そのため、週に数回はスーパーの総菜を買ってきて食卓に並べる。これまで父と母はたいてい同じくらいの時間に帰宅するか、母のほうが少し早いくらいで、総菜が食卓に並んでいる頻度を父が気にすることもなかったのだが、家にずっといるようになると母が総菜を皿によそう姿が目に付くようになったようで、ある日の昼間、父は私にこう言った。
「あれだな。ママは毎日のように総菜を買ってくるでしょう。何か、作っておいてやろうか」
その言葉には、私に「母の代わりに何か用意してくれないか」というニュアンスが込められていたのかもしれない。だがもともと、家族の中でも私だけは食事を自分でつくって、ほかの家族とは別に食べている。母の総菜も関係ない。
「いいんじゃない。私はいつも自分で作っているから」
ぶっきらぼうにそう返すと、父はなにも言わずにその場を離れた。そしてその夜から、毎晩、父の料理が並ぶようになった。
そのラインナップは、回鍋肉、麻婆豆腐、麻婆茄子、焼きそば、ラーメンなどなど。指定された野菜と和えるだけで完成する中華調味料を使った料理たちだった。
やることができた父は誇らしげで、毎日夕方になると家族のグループラインに「本日の夕ご飯」が投稿されるようになった。
ある日の昼間、キッチンでインスタントコーヒーを淹れていると、
「今日の夜は、回鍋肉を作ろうと思ってるから。簡単なんだよ、中華って。インスタントの調味料を和えるだけだから」
突然となりにやってきて父はそう言った。
父の料理に関して、自分の分は自分でつくっている私はもちろん、いつも母に作ってもらっていた妹たちも別に文句はなかったが、母だけは別だった。ある晩、ほかの家族が夕食を取っているときにダイニングへ行くと、ちょうど母とすれ違った。よく見ると、母の顔は真っ青で口を小さく動かしている。
「え、どうしたの?」
心配になって聞くと、私の横を通り過ぎながら、
「吐いた」
母は言った。
その日、母はそのまま寝てしまったので、なぜ吐いたのか、胃腸炎の心配はないのか、など確認することはできなかったが、翌日の朝には体調は回復したようで普段通り仕事へ向かった。
しかし仕事から帰ると、母は吐いた理由について
「パパの料理のせいよ」
と言った。
「あの人、古い油を使っていたの。信じられる?」
聞いてみると、父は普段の料理に、何日もしかしたら何週間も前に使った揚げ油(我が家は揚げ物をしたあと、しばらくは専用の缶に入れて揚げ油を保管する。揚げ油は揚げ物の時以外には使用しない)を、使っていたようなのだ。
「道理で脂っこいと思った」
私は母が吐いた理由について、母は父が料理して誇らしげな顔をしているのが我慢ならなかったようなので、精神的な理由で吐いたではと思っていたので、実際父の料理に問題があったと知ってすこし安堵した。
しかしこの一件以来、母は父に料理禁止令を言い渡し、父がまとめて買ってきていた中華調味料は全てどこかの棚の奥に隠されたのだった。
と、この父の中華料理の一件を思い出したのは、今朝、家族のグループラインに次のようなメッセージが投稿されたからである。

今日の夜はママがいないので焼きそばをつくっておきます。みんな食べるよね。食べてね!
揚げ油は溜まっていないことを確認済だが、父が前回の一件で懲りていない様子なので、寝起きで確認した私は思わず笑ってしまった。
追伸:父が作ってくれた焼きそばと麻婆豆腐。

とても美味しかったのだが、私が夕方に揚げものをしてしまい、その時に揚げ油を残してしまったため、焼きそばには私の使った残りの揚げ油が使われた模様。キャノーラ油の、食品にあまり馴染まず野菜をべっとりと覆うような舌ざわりがあった(随分使ったようだ)。
また、節約のためか、焼きそばの粉2つに対して麺を3~4玉入れているのではないか、と思われる。既定の分量で作ればムラなく濃い茶色に染まるはずの麺に、麺本来の色が見え隠れしていた。
以前、回鍋肉を作ってくれた時にも「2~3人前」の中華調味料に、指定されている倍の量のキャベツと、指定されていないが冷蔵庫に半端に余っている野菜を色々入れていたことを思い出した。「ちょっと味が薄いかもしれないけど」と父は言っていたっけ。
規定通りには決してやらず、少しでも「安くてお腹いっぱい」を意識してつくる。その結果、ただ余計に食材を使っただけで決して節約になどなってはいないのだが、そういう点も、父らしくて私は好きなのである。
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