ナポリタンは母の味

ごはん

 子供の頃、ナポリタンの美味しさがまったくわからなかった。ピーマンや玉ねぎ、スパゲッティにケチャップがまとわりついているだけで、なぜ喫茶店のメニューには必ずナポリタンがあるのか理解できなかった。

 けれど我が家の母のつくるパスタと言えば、決まってナポリタンだった。具材はピーマン、玉ねぎ、ハム、味付けはケチャップのみというシンプルなもの。月に一度は出たように思うが、一人前を食べきれた記憶はない。

 今も母はナポリタンをたまに作っているが、母が「ナポリタンを作る」と言うと妹たちはパスタだけ一緒に茹でてもらって、そこにレトルトのパスタソースをかける。

 自分の作ったナポリタンを決して娘たちに食べてもらえず、ひとりだけ真っ赤な麺を巻く母の曲がった背中を見ると、いつも少し胸が痛む。だからというわけではないが、フライパンに少し残ったナポリタンを、いつも一口もらう。いつからか自分のごはんは自分で用意するようになった私の中では、ナポリタンこそ母の味であることに気が付いたのはほんの数日前のこと。

 ふっと今日、そんなナポリタンを食べたくなったのは、最近、SNSでやたらとナポリタンのレシピを見かけたからだ。母のナポリタンに入っている調味料は、ケチャップのみだが、オイスターソースやバターを入れるレシピもあった。

 自分の中で「ナポリタン=冴えない」という方程式を少し変えたくて、ネットで見かけたナポリタンのレシピに倣って作ってみることにした。

 いくつかのレシピの中から「これだ」というものを見つけ、キッチンへ向かう。使う調味料はバター、ケチャップ、トマトソース。ケチャップのほかにトマトソースを使うのが味を引き締めてくれておいしそうだ、と思ったのが決め手だった。

 しかし冷蔵庫から材料を出す中で、トマトソースがないことに気づいた。だからと言って今更、別のレシピを探すのも面倒だったので、野菜室にあったフレッシュなトマトで代用することに。

 トマトソースはなかったが、ほかの材料はきちんとレシピ通りに揃え、調理していく。ダイエット中なので麺はエンドウ豆を使ったゼンブヌードルを使用。普通のスパゲッティと比べて、カロリーは100Kcal低く、糖質も約半分。しかも食物繊維も豊富なので、血糖値の急上昇も抑えられて助かっている。

 麺を茹でながら、隣のコンロで野菜を炒める。野菜に火が通ったところでちょうど麺も茹で上がり、フライパンに移すと調味料と和え、軽く炒めたら完成。フレッシュトマトから水分を引き出したかったが、火が強すぎたのか水分はすぐに蒸発し、へたれたトマトだけが残った点が少し残念。

 なんとなく気持ちが沈んでいたので、ベランダで外の風にあたりながら食べることにし、ナポリタンをよそうと、タバスコと粉チーズを盆にのせ、ベランダへ向かった。

 快適な春が終わり、すっかり気温は初夏。父が煙草を吸うために置かれているキャンプ椅子にどっしりと腰を下ろすと、軽やかな風が頬を撫でた。沈んだ気持ちを晴らそうと、すこし目を閉じて深呼吸する。そのあとで「いただきます」と手を合わせた。

 ケチャップの酸味ある香りが湯気とともに立ち上る。香ばしい赤色の麺をくるくると巻き、口元へ運ぶ。

 ・・・

 はっきり言って、一口目は味があまりしなかった。最近、味覚が鈍くなっており、何かを食べて「美味しい」と思うことがそもそも減っているので、味がしないくらいで驚きはしないが、もう一口食べてみる。いま自分がなにを噛んでいて、舌はなにに触れているのかを探りながら。が、やはり味がわからない。味付けが薄かったのか、と少し不安がよぎるが、ケチャップを大匙3も入れているのだ、そんなはずない。もう一口、食べてみる。今度は、ナポリタンの匂いも目いっぱい嗅ぎながら。

 ふわっ、三口目にしてようやく、トマトの果肉を口内で感じることができた。ピーマンの歯ごたえ、新玉ねぎの甘みも続いてやってくる。ケチャップの酸味は、加熱されてほとんどないが、なんとも優しい味わいで、これなら月に一度くらい食べたい。

 半分食べすすめたところで、タバスコを数滴たらす。口元に運ぶ前から、ピリリと刺すように鋭い酸味が鼻をつく。マイルドな味わいのナポリタンにキリっとした酸味。残り数口に向け、中だるみしていた食欲が姿勢を正す。

 結局粉チーズはほとんど使うことなく、食べ終えた。ナポリタンのソースが皿にこびりつく前に、キッチンへ戻ると、今度つくるナポリタンには何の調味料を入れようか考えた。


 ベランダで撮影したナポリタン。外の風に当たりながら食べると、より美味しく感じる。

コメント

タイトルとURLをコピーしました