無職のアラサー、2年ぶりの面接

この夏、無職になって1年が経過した。秋には29歳になる。

仕事を辞めたばかりの頃は、洗顔・洗髪はおろか、ベッドから起き上がることすらできず、一日が経過するのをただぼんやりと眺めていた。

今年の3月、久しぶりに一人で電車に乗ることができ、4月以降は散歩を習慣的に行えるようになった。8月、コロナウィルスに罹って寝たきり生活に引き戻されかけたが、また少しずつ散歩や買い物に行けるようになった。

そして先週、アルバイトの面接に応募した。昨日、日程を決めるための電話があり、面接の日程は明日に決定した。

今回応募したのはチェーンのファミリーレストランのホール係だ。社会復帰へのリハビリも兼ねて散歩していた時、風になびく「アルバイト募集」の幟を見かけ、もう1,2か月前から気になっていた。

飲食店のアルバイトは殆ど経験がないが、接客業ならおおよそ5年の経験がある。過去を振り返った時、一番やりがいを感じられたのも、お客様と直に接する中で役立てたと感じた時だ。

30歳を目前にし、ろくな社会経験もない人間が、正社員ではなくアルバイト、しかも新しい経験ができる職種ではなく、自分が経験してきた職種に応募するのは、見る人によっては人生から逃げることなのかもしれない。

ただ、仕事を辞めてからの一年間、日常的に死に方を考えていた私は、未だに自分がこの先何十年も生きている未来が想像できない。

膨れた借金を返すまでは生きて、そのあとのことはまたその時考えよう、という心持ちでいる。

この先、再就職できるのかもわからない。ただ、まずはどのような形であれ「働いている自分」を取り戻し、それが定着してきたら段々と負荷を上げていけばいい。

私は選択肢が提示された時、最も起こってほしくないパターンのことを一番想像してしまう。それ自体は悪いことではない。対策を立てておけば、いざという時に慌てなくて済む。

ただ、可能性でしかないことを「起こる」と確信するくらい視野が狭くなってしまうのでよくない。

働いていた頃、不安に思っていることを上司に相談したところ「起こってもいないことを心配しても仕方がない。起こってから対処すれば良いんだよ」と言われたことがある。その言葉自体は、それまでに様々な本の中で聞いたことがあったので、当時は「そんなことはわかっている。わかっているのに、不安でたまらないんだ」と心の中で悪態をついた。

だが時を経て今、その言葉が腑に落ちた。何か特別なきっかけがあったわけではない。きちんと一年間休養を取ることが出来、不安との関係性がいくらかフラットになっただけのこと。

これまでアルバイトの面接を控えているときは、前日から胃痛がするほど緊張していたが、今日は不思議と穏やかだ。聞かれそうなことは、事前にメモにまとめているので、明日は身嗜みを整えて店舗へ行くだけでいい。

30歳を目前に、メンタル不調で1年間無職だった人間は、アルバイトすら簡単には決まらないかもしれない。それはそれで、そうなるように自分が選択してきてしまったのだから仕方がない。

ようやくバイトに応募できるくらいは体力も戻ってきたのだから、少しずつ立て直していこう。

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