◆引きこもりとは
「ひきこもり」はさまざまな要因によって社会的な参加の場面がせばまり、就労や就学などの自宅以外での生活の場が長期にわたって失われている状態のこと
厚生労働省
2024年5月頃、うつ病と診断をされ、そのまま休職するようになりました。2か月間の休職期間を経てもなお改善の兆しが見られず、就職して1年が経過していなかったこともあり、それ以上の休職は難しかったため、そのまま退職。
もともと不安になったり息苦しさを感じたときに、スマホのメモ機能に心情を書き出す癖があり、引きこもりだった時のメモが見つかったので、ここにまとめます。
誰に読まそうとも考えずに書いたものなので、文脈が唐突だったりまとまりがなかったりしますが、ご容赦ください。
2025/03/17
外へ出るリハビリをしようと、すき家へ行くことにした。化粧もして服も着替えた。
いざ、という時、腹痛と動悸、吐き気、ざわざわ感、不安がわっと広がる。身体から力が抜けて、動けそうにないのに何かしないと叫びだしそうになる。
鼓動が早くて気持ち悪くなり、断念。
その後休んでいたら妹がかえってきて、またすぐに出かけるというので一緒なら出られるかもと再チャレンジ。行き先が反対方向だったので、家の前で別れるも、すぐに引き返したい気持ちになる。考えないようにして駅まで行ったものの、電車に乗ることを考えたら動悸がしてきて結局かえってきてしまった。
目的地が遠すぎたのかもしれない。せっかく外に出られたのに、目的地へ行けなかったことで自分に対して否定的な気持ちになってしまった。
突然遠くへ行こうとするのではなく、やはり近場から始めるべきだった。電車が難しいなら、まずは徒歩で行ける場所から始めよう。
大丈夫。またできることは増えてきて、昨日は数か月ぶりに髪の毛をドライヤーで乾かせた。ストレッチだって続いているし、髪の毛も洗えているし、部屋はずいぶん片付いた。ここで焦るべからず。少しずつまたできることを増やしていこう。
2025/03/18 思い付きで上野へ
思いがけず上野まできた。せっかく外に出たから、と。久しぶりに一人で電車に乗った。数週間前に東京へ行ったときは気持ち悪くなって帰りの電車で涙さえ流れたけれど、だいぶ気持ちが楽になっていて、こんな簡単に元の私に近づけたんだ、とあっけに取られたような気がした。
上野には想像以上に観光客がいて、広場では春祭りなのか屋台が立ち並んでいた。今日は何も買わないけれど、屋台飯を囲んで笑いあう人たちを見ていると自分まで嬉しくなった。
「休養学」の本にあった話で、スポーツマンは負荷の大きいトレーニングをした後、相当の時間、適切な休養を取ることで、トレーニング前よりも高いパフォーマンスを出せるようになる、というものがあった。スポーツマンだけでなく、日常生活にも同じことが言えるのでは、と感じた。
ー帰宅後ー
私は離職以降、引きこもりがちで、先月ひとりで東京へ行った時は立ち止まるたびに泣きそうになって、帰りの電車では実際に涙まで流し、帰宅後は2日ほど誰とも口をきけなかったわけだけど、しっかり休んだら、今日思い付きで上野まで行くことができた。帰りの電車では目を開けているのがしんどくてぼうっと無心になっていたけれど、帰って少し休んだら「あぁ大丈夫だ」と思えた。
これは引きこもり脱却の成功体験と言える。
2025/03/21 家を空けることが怖い
外へ行こうとすると頭の中でブレーキがかかる。だめ、外へ出たらだめ、と。
外へ出る恐怖よりも家を空ける恐怖のほうが大きい。もし自分がいない間に火事になったら?泥棒が入ったら?ケンケン(我が家のミニチュアシュナウザー)を残して出かけることが怖い。
今朝、Xで携帯ゲーム機のバッテリーが膨張して爆発し、部屋が大惨事になった人のツイートを見てしまい、火事が余計心配になった。
2025/04/16 外出先で感じる息苦しさ
本当はマイナンバーカードを受け取りに行くつもりだった。昼過ぎには支度もできていたし、一度は玄関まで行った。でもそこで上着を取りに部屋へ戻ったら、そのまま気分が優れなくなりケンケンと30分ほど休んでいたら受付時間に間に合わなくなった。
家にいたら父にマイナンバーカードのことをつっこまれるので、マイナンバーカードの受取には間に合わないけれど家を出た。父にマイナンバーのことを聞かれたら「時間を勘違いしていて間に合わなかった」ことにして、明日行く。
歩いて〇〇(近隣の商業施設)まで来たけれど、なんだか胸が苦しくて、椅子に座って休んでいる。歩いている途中から気持ち悪くなってしまった。だいぶ精神面は安定してきたはずなのに、それでも予期せず体調不良に陥ることが未だある。最近は平気なことのほうが多かったんだけどな。疲れた。
2025/05/02 電車に乗るか・乗らないか
雨。昨夜、映画の予約をした。電車で20分かかる映画館。今朝早くに起きて身支度を済ませ、家を出られたのはよかったが、どうも身体が重い。
サンダルだから歩きにくいのか、水筒を持ってきたから荷物が重いのか、それもわからない。ただ、ここ最近ずっとだるい。身体が重たくて、立っているのもやっと。「がんばれ、あと少し。がんばるんだ」と自分を鼓舞して、どうにか出先から戻る日が続いていた。
今日の帰りも身体が重くて辛い思いをするのではないか、そう思うと、今日は無理して出かけずに家で休もうか、という考えが頭をよぎった。
改札手前でUターンし、駅の周りをぐるぐる。行くか、行かないか。身体が休みたがっているけれど、行かなかったら、それはそれでチケット代が無駄になるし、また行けなかった自分を責めることになる。
せっかく支度をして、頑張って出てきたのだ。
なにがそんなに不安なのか、身体のだるさ以外に。考えてみたところ、「人混み」「視線」が思い当たった。人込みに対する漠然として不安。自分が無職であるゆえ、人からの視線に白いものを感じ取ってしまう。実際には、誰も私が無職だなんてわかりはしないのに。
不安は消えなかったものの、歩いているうち、身体のだるさはいくらか軽減された。もともと行くのをよそうかと考えるきっかけになった問題が解消されても、行けない理由を考えるうちに今度は気持ちが行かないほうに傾いていた。
しかしせっかく出てきたのだ。
不安が強い時は「実際にはその不安が間違っていること」を行動で認知することで改善すると、いつか聞いた。いま、自分が抱えている不安「人混みに行くと疲れるのでは」を解消するには、人混みへ行くしかない。楽しめるかもしれないじゃないか。気にならないかも。苦手を克服できたら、達成感があるかも。
自分にそう言い聞かせ、どうにかいま、電車に乗っている。
まとめ|ゆっくりだけど明るいほうへ
28歳になって無職・引きこもりになってしまった私が引きこもりを脱却するまでの日記でした。最後に載せた日記が、出かけられるか・られないか、微妙なラインのものなので、「これは脱却できていないのでは?」と思う方もいるかもしれません。
正直、まだ外出しようとすると突然謎の不安感に襲われて動けなくなることがままあります。それでも昨年末や今年の春先と比べると、随分外出の頻度は上がり、週の半数は散歩に出られるようになりました。
昨年、離職したばかりの頃は「もう二度と働けないかも」「外出できないまま、この世から消えるのかも」と思いつめていましたが、どうにか元の自分に近づいていけている気がしています。
人によってペースは異なるかと思うので、誰とも比較せず、のんびりと無理なく社会復帰をしようと思います。
いま、ひきこもりに悩んでいる当事者の方、その家族の方、友人の方、皆さんがいつかまた暖かい日の元で微笑みあえることを願っています。
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