母の日

2025年

 さて5月の第2日曜日は、母の日である。

 我が家では毎年父から母へ、母から義母へ、母の日のプレゼントが渡される。

 今年は父方の祖父が亡くなってから初めての母の日。父は祖父が亡くなって以降、ひとりになった祖母を心配して毎週1~2日は様子を見に行っているのだが、そんな祖母の家の庭に植わっていたバラの苗木が最近になって枯れてしまった。それを受けて、父は母にこう言ったそうだ。

「実家の庭にあったバラの苗木が枯れてしまったから、今年の母の日には新しくバラの苗木をプレゼントしようと思うんだ」

「あら、良いじゃない」

と母。そこまでは良かったが、

「ママのもそれでいいよね」

その一言に母は立腹。誰が苗木の世話をするのか、そもそも植えるのか。

「花束ならわかるわよ。でもどうして苗木にしたと思う?」

父との一連のやり取りの後、母は私に向かい言った。

「上手に手入れをしたら長いこと咲いてくれるからじゃない?」

「違うわよ、花束はすぐに枯れるし高いからもったいないって思っているのよ」

 吝嗇と言っても良いくらい倹約家な父のこと、母がそう思うのも無理はない。一方で、もともと相手の気持ちに疎い父だから、何か感謝の気持ちを伝えたいという気持ちはあるはずなのに、伝える形が的外れで、その不器用さが少し可哀そうでもあった。母は母で「花束のほうが嬉しいわ」と伝えれば、父は花束を買ってくるように思うのだが、素直な気持ちを伝えあうには関係がこじれている。それなら私が伝えれば良いのだが、すでに鉢植えを買っている父に向かって「花束も」と言うのは気が引けた。

 そして母の日の数日前のこと、キッチンへコーヒーを淹れに行くと、窓越しにバラの鉢植え作業をする父の姿があった。曇り空の下、ひとり黙々と作業をしている。父は相手の気持ちだけでなく、自分の体調の変化にも疎いので、「今日が涼しい日で良かった」と私は思った。

 その日の夕方、父から家族のグループラインに次のようなメッセージが届いた。

バラ鉢植えしました。3時間かかりました。まだ赤ちゃんの苗なので、ママのいう通り日当たりのいい南側のテラスに置こうと思います

 実際、父がどのような心境でバラの苗木をプレゼントに選んだのかは定かでないが、父が母に贈ったバラの苗木「ほのか」の花言葉は、「幸福」「私はあなたを愛する」であった。が、このことを母に伝えても気味悪がるだけなので、私の胸にしまっておこうと思う。


 最後に、父が母にプレゼントした「ほのか」の写真をば。(撮影:父)

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